格差、コンピテンシー、階層化 (a)

なんとなく感じたことのメモ書き。
初アジアから帰国。
日本よりはるかに格差は大きく、搾取の構造はあちらこちらに見え、階層の固定化と所属の条件も明確。
外需依存が大きい分、コミュニケーション能力がそのまま収入のボトルネックになっている。
ありていに言えば、現地語を満足に話せない近隣アジア諸国から来た人は明らかに搾取されている。
時給単価の低そうな人は一ヶ国語しか話せず、地域や店・ホテルのグレードが上がると日本語・英語が通じるようになる。
逆に親日的な(おそらくアジアでは一番)国ではあるものの、グレードのより高いブロックはかなり個性の消えた国際都市化していて、英語が標準。
そして格安パックツアーでやってくるような日本人は言語バリアのためにそこのリソースにはアクセスできない。
 
格安パックツアーも初体験だったけれど、中高年参加者のソーシャルスキルの低さは異常。
平気で現地の人を馬鹿にするし(意味が分からない)、同行者が落し物を拾ってあげても礼すら言わない(物だけ受け取って無視)。漫画に出てくるようなエロオヤジ的コメントをバスの中で延々繰り広げたり。なんと以前のツアーでは車内で脱糞した奴もいたそうな。
というか定年前後で学生が使うようなパック旅行に夫婦で参加する時点で…という感じだけれど、その理由が分かりやすすぎる。
 
ほとんどの労働は機械化が可能で、人間だけにできる仕事はもはやコミュニケーションに依存するものしか残っていないので(あとは例外的に芸術・工芸的分野が残る)、そのウェイト(コミュニケーション依存度)が低い人間は必然的に市場価値が下がる。
とすると現在そして今後、「生まれついての要因」で、金融資産および遺伝以外のもの(容姿・身体能力・IQ的知能は遺伝する)で階層を固定する大きなファクターは、家庭の中で継承され得るノンバーバルも含む広義のコミュニケーションスキルであって、そしてかつてのラテン語的言語に英語は場所をとりつつあって(国籍に関係なくそのリソースにアクセスするためにはそれをできていないとならない)、いい加減ゆとりどうこうとのんきな議論をしている暇があったら、もう十分ツールは開発されているんだから(ロールプレイなどで)、英語+ソーシャルスキルレーニングをさっさと小学・中学で徹底的にやった方がいいと思う。
どうせこれから日本は相対的に発展途上国に転落していくんだから、その中にあって生産性やQOLを保ち、かつ格差の縮小化のために一番手っ取り早い方法はそれだと思う。
 
せめて子供には、今の社会をバリアなく生きていくために必要なツールは教えてあげようよ。