by Ran

なるほどね。最初からそう言ってくれればあんな過反応しなかったのにー。論理的じゃないか!B型研究のリンクとかよりよっぽどわかりやすい。というかアレはゲテモn(略)
考えたことはふたつ。
①脳内物質やホルモンバランスの話だけど、血液型が純遺伝的要因であるのに対して、そういったことがらは後天的要素(まあ環境)によってかなり強く・幅広く左右されるんじゃなかったっけ。一定の刺激が続くと神経経路は伝達しやすくなる、というのと同じように、(副)交感神経系も一定の流れに「慣れ」が出るような気が。いや、あやしいなこれはうろ覚えだ。まあそうじゃなくてもたとえば女性ホルモンなんかは薬品投与でなんとかなってしまったり。いや、それはちょっと例として不適切だ。まあなんか適切な例が思い浮かばないわけなんですが(調べておきます)、そうであれば、血液型がある程度の「先天的傾向」を示す(この可能性はあってもいいと思う)としても、その影響は、成長するにつれて薄くなるのではないか。

「X型は〜〜であることが多い」という記述の統計を取っていくと、一定の傾向が見えてくる。特にメジャーで広く流布している性質が、A型の「几帳面・ルール遵守・神経質」とB型の「マイペース・ルーズ」。

というのがあり、後述の理屈によってこれを二項対立的に見たのははっきり言って超興味ぶかいナーと思うわけで、しかしこの記述にはちょっと疑問が残る。
(1)まず【記述の統計】はどの程度の精度でとれてるのか。仮にかなり網羅的なデータにもとづいていたとしても、このテの記述は、相互に伝達・模倣が介在しているだろうから、この前提はいただけないんじゃないか。(まあ科学的データがないから仕方ないか。)
(2)それからA・Bそれぞれの性質が、必ずしも対立せず、むしろ誰しも両面を持つと思える点。「場合によっては几帳面で場合によってはルーズ」というのが普通なのではないか。
(3)もっと深刻なのはA・Bそれぞれの性質の、直感的な内実と模倣ホルモン(仮)の働きとの関係。
几帳面は「他人の模倣」から来ると言えるのか?神経質は?几帳面・神経質な人は、規範的行為としてそういった行動をとるというよりも、そうでないと自己が生理的不快に陥るからそうするという印象が強い。そもそもその生理的不快が規範によるのだとしたら、規範が変われば性質も変わるのではないか。つまり几帳面を規範とするコミュニティとそうでないコミュニティとで、A型=模倣型(仮)の性格は几帳面にもそうでなくもなるのではないか。すると、A型に関する記述はコミュニティにより異なることになり、前提とそぐわない。
逆に、マイペースは「他人の模倣」と逆行するといえるだろうか。ルーズは?ルーズな人のよくある言い訳としての「人もやっているから」というのは模倣ではないのか。それともそれは、「言い訳のための言い訳」であり、行動に際しては影響が薄いのだろうか?あるいは、とくに最近、個性の重視の延長からマイペースを美徳のように扱う局面も多いが、そこからルールが派生することは考えられないか。既に小学校教育などでそれらをルール化するような動きも散見される。
 
まあ①②どっちも根拠に欠けておそまつなんだけどちょっとした感想程度。科学的説明の余地があるのは了解しました。それを否定していたつもりもないのだが…。