ウーン byら

ハナゲって抜かないからその単位に実感わかないんだよね。つーかくるぶしと鼻腔は痛み方が全然違うしなあ…
 
まあたしかにそりゃそうだ。
 
でも痛みって脳だけじゃなくて体のことだから、その認識論的展開では済まないと思う。
色なんかどうでもいいじゃん。同じように見えてなくても困らない。デザインとかそういう点で困るぐらい。でも痛みは困る。「転んでくるぶしが腫れて痛い」ならまだしも、「なんだかわからないけど痛い」だったら、痛みそのものを伝達できないと、対処する上ですごく困る。それなのに、痛みを伝達するのはいまだにとても難しい=伝達する手段が少ない=痛みを伝えるための概念が少ない。
つまり、まったく同じ痛みを想起できないのはいいとして、共通の概念がもっと必要なはずでは?つまり、「痛み」には、<色名>が少なすぎるんではないか?
上記わたしの記事は認識論的なところに終始してしまったけど、認識論的レベル(脳のレベル)では「痛みは伝達不可能」なのはアキーの言うとおり「当たり前」で、むしろ焦点は「痛みに関する具体的概念が不充分すぎる」という点かなあ。それを以って「もっと伝達できてもいいのに」と感じたんだろうなあ。
 
えーと結論としては、ちゃんと考えてから書けよ、ということか。(最近こんなのばっかり)