マニュアルと敬語 by 蘭

「正しい日本語」がどうのという主張は大抵ファッキンだ。たとえばこれまでになかった言い回しが、どうして正しくないと言えるのだろう。言語は流動的に変化しており、新しい言い回しこそが現代では「正し」くて、あれこれと言うひとは単に言語の流動性に(=時代に)ついてこれないだけだ。というような可能性を、ちっとも省みない論調が多く、まことにファッキンだ。
だが敬語となると話は別。敬語の目的は敬意を表することだからだ。つまり相手方に敬意が伝わらなければ意味がなく、その「相手」には「単についてこれない」人が当然に含まれる。ということは、敬語は「正しい」ものであればあるほどよい。であるから、敬語の判断は厳格であるほど、相手となりうる対象の範囲が広がるので、一般的会合の受け付けならば厳格な判断をお薦めするよ。
ただマニュアル化となると、厳格性を追求しすぎることで基準が多岐に渡ってしまうと、マニュアルとしては煩雑なものになりよろしくない。そのへんで(マニュアルの性質との兼ね合いで)妥協点を探ることになるのでは。
 
「何かご質問がおありでしたら、すぐにお答えいたしますので、お気軽にお聞きください。お手洗いですね。あちらです。」
でいかがでしょう、先生。