人生はもう半分以下しかない

時間の長さの感覚は、それまで生きてきた時間の長さで推し量るしかないから、
幼い頃の1日は長いし、成長してからの1日は短い、という話は多い。
尤も、目新しいことがあったときには感覚としての時間は延長するし、
何も目新しいことのない、「自分が更新されなかった」日の時間はより短縮する。
http://www.fi.k.u-tokyo.ac.jp/japanese/column/back02/co_main_18.html

しかし、同じようなペースで世界を生きている限りは、やはり平均すれば、
時間の長さの感覚は、それまで生きてきた長さに対数的に依存する。

具体的には、たとえば、15歳にとっての1年間は、30歳にとっての2年間と等しい。

「物心*」がつく(**記憶の保持が確立する)のを5歳、死ぬのを80歳と仮定すると、
下記の年齢はそれぞれ感覚的には等間隔に並んでいることになる。

5 10 20 40 80

今まで生きてきたのと同じくらいの体感の長さを生きれば、もう死ぬのだ。
毎日自我が崩壊するくらいの強くて新しい刺激に晒されていれば別だけれど。

生き方について真剣に考えなければならない、という月並みなことを言いたいのだけれど、
もう少し人生を楽しく生きることを考えた場合、人生の中では時間の流れが
大きく違うということを認識する必要がある。

つまり、楽しいことは前の方に持ってこないと(若いうちにやってしまわないと)もったいない。
つらいこと(無駄に長い時間が必要なこと)は後延ばしにした方がいい。

残りの人生半分でしたいことの配置を考えるのは結構楽しい。
貯金なんかしても意味はないな、とか考えたり(むしろ借金して将来の自分に払わせるべきだ)、
おもしろそうなことから優先的に実行すべきだ、と考えたり。